フテブテの歩み

文筆/脚本/シナリオ/演劇///ハンドメイド/タロット​ ◆表現ユニット燃ゆる塵芥主宰 HP→https://yukifutebute.wixsite.com/yuki-fute-bute

パントマイム🔰

近頃パントマイムを少しばかりかじっている。

最初に習得したいと思ったのは壁だった。

空間に手のひらと全身のみで対象を浮かびあらせる行為に、創造の根幹を感じたからだ。

 

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マイムの練習は日々の達成感が得にくい。というのも私の経験した学校の勉強や習い事、資格習得といった過去のあれこれは、どれも段階的なスキルアップの上に力を付けていくという方法論から成り立っており、たとえばピアノはバイエルからソナチネへ、一曲ごとに違うことなく鍵盤を弾けたならば充足感を得る。(プロは例外で、「聴かせるピアノ」を生み出すためにスキル習得とは別の感性を磨く観念的な指導を受けるのかもしれない。)しかしマイムは習得すべき基礎的なテクニックこそあれ、それを覚えただけでは到達度を図りにくい。

マイムにおいて最も重視されるのは、mime=真似・模倣、つまり原則はそこに無いものを在るように見せるということ。観察眼が何より求められる。

広義では見たものを再現することの全てがmineであるとも言えるので、レッスンにはゴリラの真似やリンゴを食べる真似なんていうギャグだか正気だかわからないものもある。だが、誰でもできる真似もまたmimeである。パントマイミストは舞台に立つ傍ら学校現場に赴き、特別講師として招かれることもある。子どもたちは自らの目で見たもの・感じたものを、真似ぶ=学ぶ=mime する。

 

全ての表現様式に通ずることであるが、マイムにも師匠の型の伝承を目的とする者、基礎を身に付けた後は己の表現形態を模索していく者がいる。

画家に例えるなら、前者は強固な師弟関係に基づく日本画、後者は筆や絵の具の基礎的な用途を覚えたら、あとは好きに描きなさいよ、といった美術学校のようなものだろうか。

 

ということで、マイムの上達には観察が何より重要で、流派ごとに諸々こだわりはあるだろうが正解のない漠然とした世界だと感じた。しかし純粋な観察と再現を高めると抽象度の高いシアター作品に行きつき、観察によって得た再現性に誇張を加えるとストリートや映像などのコメディ作品に到達する。客層の異なる両者の双方がマイムであるのだから、マイムにもいろいろある。

 

マイミストは体を動かすという点ではダンスやバレエなど身体表現として括ることができるが、観察と再現という点から考えれば「体で描く画家」という表現もできる。

 

何はともあれ、表現に限らず生活・人間関係・労働、その他全てに良いmineを。