ハウツー本
今日読んだ演劇の入門書は難しく、正直わからない箇所が多かったです。
どういう風に難しかったかというと、感覚として理解しなければならない演劇の構造を上手くつかめませんでした。原因は演劇について自分が知識、経験ともに無いこと、感性が鈍いことだと思うのですが、それだけではないはずです。
ですが逆に、誰にでもわかるようには書かないこと、誰にでも理解できる内容のみを書かないことがむしろ誠実さの証のように感じられました。
演劇についてよく知らない私が言うのはおこがましいですが、それは演劇という感覚の世界のことだからこそ、そう感じるのです。
世の中に流布するハウツー本というものは、初心者にわかりやすく技術を教えてくれます。目次には番号を振られた章立てが並び、準備すべき道具やそれらがどこで入手できるかまで、事細かに丁寧に書かれています。
最近では、漫画の描き方も脚本や小説の書き方も、そういったハウツー本が数多く出版されていますよね。
それらを読めば、一通りの型を学ぶことができます。
ですが、演劇や漫画、脚本、小説など、感覚の関わる分野に関しては、型を学ぶだけでは外枠の完成にもならないと思うのです。
もし型を用いようとするなら、先人の型に行き着くまでの心情を自然となぞれるような感覚を身に付ける必要があると思います。
たとえば、漫画では、登場人物の心情の盛り上がりを表現するために、コマを大きくしてはみ出さんばかりの効果線を入れます。そんなとき、それを決まりごととして丸暗記して使うのではなく、自然とそう描かざるを得ない感覚になるということです。
演劇だと、その歴史の古さと演じるという複雑さから、物凄い量の感覚が詰め込まれたルールがあるはずです。
本当は、そういう感覚はたくさんの作品に触れることで身に付けなければいけないことなのかもしれません。
ともあれ、かくあれ、今日読んだ本は、こういった感覚を含めて言語化されている点がとても凄いと思います。
上手く言えませんが、それは作品の体裁を整える以上に大切にしなければ、作品として在る意味が薄れてしまう気がするのです。