フテブテの歩み

サワユキ。傲慢な小娘。文筆家。演劇ユニット「燃ゆる塵芥」主宰。

女を売るということ(精神的な意味で)

最近、状況としてのみですが、「オタサーの姫」状態になる機会に恵まれます。

とは言っても、「複数の男性に囲まれている」という状態になるだけであり、その男性たちの中で、私を姫扱いする人はいらっしゃいません。(人間としての気遣いは常日頃から感じております。ありがたい。)

 

若い女性は若い女性であることだけで、(意図しようとも意図せずとも)言動に付加価値をいただけることがあると思います。

また若い女性というだけで目立てる職業や活動は、現代の日本にも、まだまだたくさんあります。

 

でもだからこそ、性別を抜きにした自身の能力だけで評価されてみたくもありまして。

そのためには、甘えるところだけしゃぶり尽くすいいとこ取りじゃいけないし、自分が何で認められ、その場にいられるのかという現状をきちんと見極めないといけないと思っています。

幾ら自分は能力を買われたと思っていても、そうでないこともありますし。そう、女性らしさが売りとなってしまうこともありますし。すし。

 

そんな風に女性として居場所を与えられていたときは、素直にその現状を認めた上で、これからの在り方を模索してゆきたいです。

現状を受け入れて、そのままの状態を維持するもよし、

現状を認めた上で、それでも能力を買われたいならば、女性としての居場所を返上し、能力を磨き続けて、再び挑戦するもよし。

 

若い女性は二通りの成功の方法があって得なのかもしれません。

 

それなのに、「女性」という記号付きの私ではなく、ただの「私」、代替の効かない「私」を認めて貰いたいと思うのは、ある意味わがままなのでしょうか。いや、若い「女性」というもの、そのものが認められてしまいがちだからこそ、「私」という個別性を重んじるのかもしれません。

 

 

 それから、私自身、若い女性であることを売りにしてはいないつもりですが、若い女性であることを生かして活動されている方自体を決して批判してはいません。

明らかに女性であることを売りにしているのに、能力で評価されているかのように、意図的に錯覚させている場合のみ、自分の現状を受け止めた方がよいのではないか?、と個人的にはかんがえています。