1964→2020 五輪
2020改め2021、
あっという間に終わった五輪。
開会式はネットの中継で。
パントマイムを用いたピクトグラムがちょっぴり話題になった。
マイムの披露は短く・素早くが一般受けする。
映画泥棒の映像然り、今回のピクトグラム然り。
中止か否かで揉めに揉めた。
利権が蠢いている様がエンブレムの隙間から見え隠れした。
そんな中、白根記念博物館の1964年五輪の展示に感動した。
https://shibuya-muse.jp/exhibition/474/
五輪は、戦後の日本が一国家として認められるために必須だった、
なくてはならなかった取り組みだった。
しかも今度は国家主導ではない、個々人の熱意がそれを後押しした。
国力が劣っているということは、料理すらも認められないこともある。
現代の日本人が海外赴任する際、その国が貧しかったり文化が著しく異なっていたりすると、まずは食の心配をするように。
選手村で出す料理を世界レベルに押し上げるために、さまざまな国の大使館へ赴き、大使婦人やスタッフに教えを乞うたり、食品の加工に試行錯誤したりという努力は、
まさに結団式でスピーチされた「料理する選手」の名に相応しい。
1964、米軍から返還されたワシントンハイツが国立競技場となり、
2020、再び世界の注目を浴びることとなった。
本当は、いま、この不安と哀しみの混在するこの国を、
再び輝かせるべく汗をかくための催しであったはずで、
そのために選手やボランティア、他にもさまざまな人々が努めたのだろうけど、
五色の光彩は、なかなか目に入らず、
過ぎ去ってしまった。