読解力と読解力発信力
博物館も美術館も、読解電波が飛び交ってる。
作品を観るための意気込みは、作品の枠組みを超え、羽を生やして飛んで行く。
違う生き物になった読解は、もう作品とは別物。
読解力を発信する力は、読解力の大きさとイコールじゃない。
読解力を発信する力は、読解の発信力ともイコールじゃない。
飛び交ってる読解は、必ずしも良質なものとは限らなくて、ただ強い品種なだけなのかもしれない。
読解を発信している生産者は、読解力より読解力の発信力に優れているのかも。
教訓じゃないけど、目につくものばかり買ってると、凄いけど発信の苦手なものが消えてくのかも。