日々のバランス
小手先で考えたような、器用な人なら誰でも作れそうなものは嫌だなって思って、奇を衒うのも、ちょっと気の利いたくらいの言葉を発信するのも、辞めたけれども、
不器用だねって言われることを自分の一番大事な支えにしてしまって、闘いから逃げるのも、また本質から遠ざかっていく気がして、
そんなことを毎日繰り返して繰り返して日々が過ぎていく。
日々が過ぎていく、という
その文字面や語感すら、自分自身を認めてしまいそうなアンニュイな雰囲気が漂うものだから、もうそれも無しにしようと思って、
でもそんな外側でなんでもかんでも排除して結局自分の骨すらいらないものだと言いかねないような勢いで生きると多分、破滅してしまう。
想定された用途と実際の活用は別のものだと理解していないから、気軽に捨てようとするのかもしれない。
自分以外にも、もっと他にも目を向けなきゃ。
それがどうしてそうなったか想像しなきゃ。たとえ誰にも自分の内側を想像してもらえなかったとしても、その人が自分の内側を想像しなかった理由まで想像しなきゃ。
寛容なフリをして取り繕うのが嫌なら想像しなきゃ。
どうして小手先が嫌かも小手先が増えているかも想像して、たくさん想像して、そしたらそれを咀嚼してしまって、とりあえず次に行って、それでまた気になったら反芻して。
きっとそうやってバランスをとっていられる間は、心を自分のものにできるはず。
でもそれが最上に素敵な自分なのか、器用な自分なのか、真理を追求しなかった恥ずべき自分なのか、まだ考え方を定めてしまえるほどには自分の軸を彫れていない。
ので、彫るための時間を得るためにも今はバランスをとるしかない、のか。