気の強い
小学校の頃か中学校の頃か、保護者同士の集団で喋る様子を見て、とあることに気づき、愕然としたことがある。
幾つになっても、気の強い者が勝つということだ。(例外も多々あり)
保護者の集まるその場を仕切り、PTAの中でもグイグイ意見を放つマダムは、かなり気の強い女子の母親だった。
今度ここにランチ行きましょうよ!バザーは持ち寄りね!!私は会計の係をやるわ!!
ガンガン決められてゆく。
助かる面も大きい。特にPTA の役員をやりたがらない保護者も多いので猶更。
教師も感謝している。役員はそのまま引き受けて貰いたいので、多少強引なやり方でも下手に口出ししない。ただ、役員の子どもにも口出しをしづらくならなければいいとは思う。
気の強さは技術でもないのに武器になる。
ジャイアン的ではない強さだ。
特に女子のヒエラルキーはかわいさだけじゃ上に昇れないことだってある。腕力よりも、気の強さが必要なのかもしれない。最強コンボは、「かわいい×気の強い」なんじゃないかと思う。
気の強いことは必ずしも悪いことではないと思う。
けれども、気の強いことに対して味覚音痴になってはいけないのではないか。
気の強い女性肯定派否定派にかかわらず、どちらも「気の強い」「気の弱い(か弱い)」ということをフェチズムとして、好みの方をそのまま受容してしまっている気がする。
それでは、たとえば気の強い女性の中でも、芯の通った気の強さなのか、自分に従わせたいという気の強さなのか、判別がつかないと思う。