フテブテの歩み

ゆき。傲慢な小娘。自称文筆家。

友達コレクションに抗おうの巻

必要なものを必要なだけ持つ時代。

もちろん、そんな時代に抗ってもいいし、それはむしろ時代に流されるより労力を費やすので、尊いことだと言われがち。けれども、目立ちたいからってなんでもかんでも抗う天邪鬼ではなく、意志のもと抗いたい。そして自分がそんな天邪鬼に食いついてしまうことのないようにしたい。逆に、意志と時代が合致していれば、それは時代に流されているのではなく、時代に乗っていると言える。そんなときは自信を持って時代を進んでゆきたい。

 

友達、それは多くの人に「宝」だと認識されている。宝はたくさん所有していた方が気分がいい。実用的なことにも使えるかも。眺めていても楽しい。

だから、友達という宝物のコレクターは多い。自分じゃコレクターだと気付いていないのかもしれない。コレクター同士には、なんとなく共通する価値観があるように思える。友達の希少価値というか、トレーディングカードの☆の数によるランク付けみたいな。そのランクが自分の基準によってつけられているものなら、いいと思う。でも、それは他の人に評価してもらいやすいように、ランクをすり寄せている場合も多いように見受けられる。それは巷でよく言われる、アクセサリー的存在の恋人に近いのかもしれない。自慢できるものを持つ。

 

個人的に一番気になるのは、ブランドと化してしまったものこそ外的な評価ばかりに偏るということだ。知れ渡ってしまったブランド力という外の部分にばかり視線が集中し、その中身が見えてこない。簡単な例でいえば、「医者の恋人がいる」と言えば、「お金に困らなさそう、いいなぁ」と言うような。人の中身っていう不明慮でアヤフヤなものはゴマカシが効くことも多いし、まずランクとして判断されない。とうか、中身なんか似たり寄ったりって思っている人も多いし、中身を磨くことに時間を使う人だってそう多くはない。そもそも中身を磨くって何?言葉にすると胡散臭くもある。中身すらも多くの人に認められそうな(例、女は愛嬌)みたいな方向に持っていこうとするんだから。

決して人の中身が外身より尊いとは思っていないけど。

 

友達コレクションて何?

確かに人脈はあった方がいい。でも、それにプライヴェートな香りをまとわせるのは、友達と人脈のいいとこどりというか。アイテムである友達として重宝されてしまうのか功利的で。だからって世捨て人ばっかり友人として囲う人もいるけど、それもまた主張のために友達を利用しているって意味では、友達=駒であるし、友達コレクションなんだと思う。