自分の醜い心
人間だもの、苦しい気分になることだってある。でも、「辛いんだ」と口にすると「みんな辛いんだよ」と言われるし、確かに私の愚痴なんか聞きたくないよなあと思うので、辛くないような表情をする。けれどもどうしても完全には隠しきれないし、わずかながら誰かに気づいて欲しいという甘えもあるので、ツンデレみたいな態度を取ってしまう。「あーステレオタイプ、嫌になる」と思いきや、ステレオタイプ過ぎて逆に誰もいない、大丈夫。そう、漫画に出てくるガリ勉キャラが現実に稀有なように。
こうやって感情吐露系を気取ると、自分自身を見世物にして売ってしまったような気分になる。けれどもバカだから、そうやって醜い芸をして人に情を請うしかなくて。もっと高尚なことが言える頭や豊富な知識があったりしたら、ありがたがって頭下げながら、物品を奉納してもらえるだろうけど、私にはそれができない。でも開き直るのもよくない。磨こう、磨こう。
今日も私の心は醜いなあと思いつつ、心を写す鏡を見つめているけど、
「私の心は醜い」と宣言することで、相手に自分のコンプレックスを指摘させないようにあらかじめ発信してしまうという手法を用いているわけで。
だから、そういう予防線を張るのも、また私の醜さの1つ。自分の醜さを自分の手で生んでる、増やしてる。
そして自分の心を醜いと思ってるくせに、さらけ出す。その目的は予防線を張りたいだけじゃない。
とは言っても、優しい声かけや共感を求めているわけではなく、こんなことを考えている私を見て、そして何かを感じて投げ返して欲しいということ。承認欲求ではないと思うのだけど、それが何なのか、うまくピタリと言葉にならない。