フテブテの歩み

ゆき。傲慢な小娘。自称文筆家。

凄いモノ、所属

いろんなモノを凄いと思っていますが、それでも自分の目指したい凄さは自分で見出だすしかないので、既成のモノにしっくり来ないのは良いことだと思うようにしました。

が、先行文献のない学ぴは難しい。本当に難しい。

 

けれどもこのバランス感覚を失って、何かに傾倒してしまう、染まってしまうようでは、私は何かに所属した私になってしまう。

所属が悪いわけでもないのだけれども、所属によって色を決めてしまったとき、とある所属という土地に根を生やすと決めてしまったとき、土地の外側に出かけづらくなってしまうのは避けたいなあと思う。

所属が何かの囲いになってしまったとき、それが思想的な意味で足枷になってしまったとき、表現とは○○派の○○さんになってしまう。それは思想がぴったり当てはまっていたら全然OKだし、方法論を学ぶ上で所属するのも良いと思うのだけれども、そんなぴったり自分という人間の影になってくれたり自分を覆い包んでくれる所属はなかなかないし、所属にそんなことを求めているのがそもそも筋違いなのかもしれない。

形の上の所属はしてもいいけど、本当にピタリと思想も方法論も全てに所属できるわけでなくて、きっと多くの人はどこかはみ出てしまうので、そのはみ出しを受容してくれる所属、いいや、はみ出しこそを育ててくれる所属に所属したいなあとか、桃源郷を渇望するわけですが、まあ所属するかしないかはどっちでもよくて、所属があってもなくても、凄い方々の地図をあくまでも参考にしつつ、自分で決断しなきゃいけないなあと思います。

という、今日も文章を書く自分ってキモチワルイって言いながら書いてしまう自分、それを載せる自分をキモチワルイキモチワルイって言う自分、全然ひっくるめてキモチワルイと思う自分にキモチワルイって感じていますが、自覚だけはありますよって訴える自分がいちばんキモチワルイ。