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フテブテの歩み

ゆき。傲慢な小娘。自称文筆家。

40 こだわり

おいしいランチを食べました。

コンクリート打ちっぱなしの壁には幾つかの抽象画が掛けられ、木の香りの残るテーブルと硬いイスが並んでいます。照明はLEDだけど、オレンジ色の白熱灯風。

丸いチタンフレームの眼鏡にゆるいパーマの店員さんが、麻布のエプロンを着て接客してくれます。

隣の人と同じものを頼んだのに、食器はバラバラ。でも形と色こそ違うけど、陶器の素材は一緒で統一感を感じる。わざとズラしてる。

名前の知らない葉っぱがたくさん入ったサラダはほのかに酸味がする。主菜は凝った和え物が添えられていて、お肉にかけるとなんだかもうよくわからないけどおいしい。パンというかベーグルというかそういった類のものも、市販品とは違う弾力がある。

 

こういうお店が好きな人っていますよね。主にカフェや輸入雑貨が好きな人たち。

それから、こういうお店が好きな人をバカにする人たちもいますよね。

 

こういうお店が好きな人たち、いわゆる「意識が(この場合は生活の方向に)高い」と言われている人たちは、なぜこういうお店が好きなのか?

確かに私が今日行ったお店もさまざまなことをこだわってはいましたが、それにはあくまで型を守った上でのこだわりだと思うのです。

私が「こういうお店」と表現したお店、つまりこだわりを持った自然体なカフェは、今の日本の至るところにあります。

こういうお店はどこでも、どちらかといえば、壁紙があるのよりはコンクリート打ちっぱなしを選ぶし、ファストフードにあるようなステンレスのテーブルとイスよりは木製のテーブルとイスを選ぶし、照明も白っぽいものよりオレンジっぽいものを選ぶ傾向にあると思います。そしてその選びがちな方の中から、テーブルや照明、食器をこだわって選ぶのではないでしょうか。

 

だから、自分の通い詰めている一軒の「こういうお店」が特別に好きなのか、「こういうお店」全体、言い換えると、こだわりの持った自然体なカフェというジャンル全体が好きなのかで意味が変わってくると思います。

そして前者の中でも、たくさんの「こういうお店」に通った上で自分の好きな一軒を決めたか、たまたま入った「こういうお店」が好きになったかでまた違うと思います。

たくさんの「こういうお店」に通った上で一軒を決めたならば、それは「こういうお店」というジャンルの中での1番の好きですし、たまたま入った「こういうお店」が好きだったならば、それはそのお店が特別好きだったのかもしれないし、「こういうお店」というジャンルが好きなのかもしれないので、たくさんの「こういうお店」に行かないことにはわかりません。

 

「こういうお店」が好きな人をバカにする人というのは、「こういうお店」好きな人が、どのような「こういうお店」に対しても盲目的であると感じ、違和感を覚えているのではないでしょうか?

また「こういうお店」の店主が、自分の「こだわり」に型があることを気づかず、ゼロからこだわったような顔をしていると、我慢ならないのかもしれません。それはよく言われる「個性派」というジャンルとも近いと思います。

まあ、ただ単純に生活にこだわりを持つのが煩わしいと感じているだけの人もいるでしょうが。

 

今日も、みんな違ってみんないいですね。バンザイ。