承認欲求高め
認められればなんでもいいってわけじゃない。大勢に認められても仲のよい人に認められても必ずしも満足するとは限らない。
正しく褒めて欲しい。わがままを言うと、力の入れているところを正しく褒めて欲しい。自分の心のお気に入りをくすぐられたい。
でも正しくけなしてくれても同じくらい嬉しい。
正しいっていうのは、人それぞれでよくて。でもどんな正しさの中にも、相手がどんな考えでそこに至ったかを察するということが含まれていて欲しい。それはつまり、自分の正しさを断定し切らないということでもある。特に作品の評価は推測の上に始まるものなのだから。
純文学の新人賞の批評は、よく作家によって評価の差が激しいことがある。それは、純文学というものの性質が己の心の開示であるからである。だから著者という1人の人間が自分にとって好みかそうでもないか大嫌いかが、評価に関わることだだってある。
でもそれを乗り越えて批評していることだって一杯ある。新しい文学を書こうともがこうとした、つまりは文学というものの在り方を新しく提示しようとしたということを評価したり、何を書きたいのか汲み取り、その表現の巧みさに感銘したり。
さまざまな方向から批評し、1番伝えたかったことをドーンと書いたのが、あの純文学の短い書評なのだ。
だからこそ肯定も批判も同じくらい尊い。特に批判は大勢のファンを持つ作家が、自分の人気の落ちることも承知で放つ。もちろん、それも正しいけなし方が前提だけど。