フテブテの歩み

ゆき。傲慢な小娘。自称文筆家。

正当にバカにするということ

私は自分がバカにされても仕方のない部分を持ち合わせていると思っているので、その点を正当にバカにされるのは納得しています。「バカ」という言葉はキツく受け取られてしまうかもしれません。要は人間誰しも、他人に指摘され得る部分があるということです。

 

ただ、その「正当」というのがミソであって、

「正当にバカにする」とは、必要な箇所だけに焦点を当ててバカにすることだと思います。つまり、一人の人間を全てひっくるめてバカにしてはならないということです。

そんなの当たり前だと感じるかもしれませんが、一度バカにしてしまった人に対しては、全ての行為において見下しがちになってしまうのではないでしょうか?少なくとも、私はそんな経験があります。

 

確かに、明確に得意分野が違う人同士は、お互いをバカにせず、認め合えることもあると思います。たとえば、体力に関しては剛健なAさんが病弱なBさんから尊敬されていますが、反対に料理に対してはプロ並みの腕前のBさんが味音痴を自他ともに認めているAさんに尊敬されるというように。(お互い自分の得意分野が最も尊いと考え、相手の得意分野に目もくれないということももちろんあるでしょうが。)

 

ですが、バカにする対象が「精神性」になってくると、その対象となる人の人間そのものを見下してしまいがちなのではないでしょうか?

特に精神において最重要視することって個人によってマチマチで許されているので、自分の中で最も秀でている「精神性」を自分の最重要精神だと主張できてしまいます。その主張は日頃の信念の賜物、つまり本心なのかもしれないし、偶然生まれた結果を見て後から根拠をこじつけただけなのかもしれません。

 

だから、個人によって順位の付け方が異なる「精神性」は、一度自分の尺度で相手をバカにしてしまうと、その構図が覆されにくいのだと思います。体力や料理などの技術はどちらが上級者か比較的わかりやすいようにできていますが、「精神性」は共通理解のしにくいものなので尚更です。

 

自分の考える最重要の「精神性」を信じること自体は立派なことだと思います。人生、己の信じる道へ突き進むしかないのだし、信念自体は尊いものです。

ですが、みんな違う心を持つからこそ、相手が「精神性」のどこに重きを置いているのか理解し、また理解できなくても理解しようという姿勢を持つことが必要になってくるのだと思います。そうしないと、自分以外の人間を否定しなくてはならなくなってしまうし、否定するにもズレた否定になってしまうので。

 

ですから、もし誰かの心の在り方をバカにするなら、対象となる人の精神のどこがどのようにバカだと感じたのか、しっかりと切り抜いておかなくてはならないと思います。

そしてその切り抜いた箇所以外の精神や技術をバカにすることのないように、努めなくてはならないと思うのです。