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フテブテの歩み

ゆき。傲慢な小娘。自称文筆家。

気持ちの矛盾(ミント編)

フテブテ

自分の人生をとある曲にたとえるなら、本当はこの曲を永遠にガンガンかき鳴らしたいけれども、最初から最後までクレシェンドで演奏していたら体力が持たない。
自分の体力では、クレシェンドは3回しか使えないとしたら、一体どこに使うのだろう?
その3回の中には、「3つの願い」じゃないけれど、その人の欲求とも信念とも取れる何かが表れるはず。

たとえるなら、サーティワンアイスの方がわかりやすいかもしれない。
3連のアイスを頼んだとき、フレーバーを3つ選ぶ。バランス、そして見栄えよく、イチゴ系×チョコ系×バニラ系とかを選ぶ人は多いと思うし、実際広告にもそういうカラフルなのが写ってる。
でも少なからずも3つしか選べない大切なフレーバーに、ミント!ミント!ミントって叫び続ける人もいるはずで、それは単純にミントが好きだからなのか、奇抜さを狙って周りに存在をアピールしたいのか、わからないけど、前者だとしたら人によって好き嫌いの分かれるミントというものを貫くってことだと思う。
それとともに、ミント以外のものを諦めるということだし、友達のをちょいと摘ませてもらったとしても、イチゴもチョコもナッツもパイナポーも満足に味わえない。後悔するかもしれない。だから、なるべくバランスよく頼むように、アドバイスしてくれる隣人も多いのかな??

いーや、それでもミント!ミント!ミント!私はミントを求めてる、それだけで幸せ♡となればいいけど、そして理想だけど、サーティワンアイスだけが全世界ではないから、ずっとミントには浸ってられない。
サーティワンアイスを食べた分、お金がなくなったら、夕飯はモヤシで我慢しなきゃ生活が回らないこともあるし、
そもそも田舎でサーティワンアイスを食べるには、街に出なきゃならないから、車持ってる人にゴマすらなきゃならないし、その人に「サーティワンアイス食べたいから、街に連れてって」なんて言ったなら、「そんなの無駄、無駄よ、カボチャでも食べてろ」って言われそうだから、「ニトリで食器棚買わなきゃ」とか方便を使うわけで、でもそれって方便というか嘘でもあるわけで、
結果アイスは食べられるけど、
「私はミントのために嘘をついた、私がミントを貫くのは自分に嘘をつかない、ミントのあのツンとした1本筋の通った風味に惚れてるからなのに、なんでそのミントにたどり着くために嘘をついたのだろう、矛盾」と苦しくなる。

それでもミントが欲しいので、1人でチャリにて、街へGO! 車で2時間かかるところ、チャリで3時間半かかるのは辛くて、苦しくて、途中、信号待ちで嘘ついて車に乗って街に行く兄弟なんか会ってに「なんて要領の悪い」なんて言われたりして、
結局、途中でパンクしてアイスにたどり着けなかったりして、それじゃなんにもならないしゃないかって思って。

結局何か選ばなきゃならないのは知ってるけれども、そんなのマトモに考えれば無理なんだ。そもそも材料が足りない、とか悲観もしたくないのに。

私はミントという象徴を愛していて、その理由は1本筋の通ったミントのツーンとした香りが好きだからで、そんな私で在りたいからミントが好きなわけで、それらだけは何1つ譲れないのに、
同じ、ミント!ミント!ミント!と叫ぶしかないし、
ミントではなく、その根幹の欲しいものである、
尊いと思える精神の一貫性!
と一言叫んでみたとしても、
それはミント味のアイスと違って形あるものではないので、幾らでも切って切って切り刻めて細分化されてしまうので、
3つの大切なものに精神性を持ち込むとなんにも成り立たない。

それでも求めたいんだ、求められないとわかっているけれども。と、たまに言葉にして解消してごまかしながら、そして行動もごまかすけれども、ごまかしていないところもあるし、矛盾は最低限にしているから、矛盾していないところを見て、素敵ですねって言わなくてもいいですが、矛盾を突いて矛盾の理由を知って一緒に世の中を笑うのは、やめましょう、きっと気持ち悪いオトモダチになってしまうので。