フテブテの歩み

ゆき。傲慢な小娘。自称文筆家。

♡ちうとはんぱ♡

腕を組みつつ無言で思索にふけっているとちょっぴり自分が賢いようにも思えてきますが、言語化してみると、なんら大したことを考えていないのだなと実感します。悔しい。

 

昨日、「改善の余地のあるものを、人目に晒すのが納得いかない」と言った通り、最近、書いたものを読み返すとモヤモヤします。

私は、お店で探している商品のあるときも、1度店内を自分で隅から隅まで探してから、店員さんを呼ぶタイプです。

つまり、やれることをやり尽くした後でないと、発信したくないのです。

ただ、最近は、生活上の全てをやり尽くそうとするとどうしても時間が足らないし、たとえば家事では、そこまで方法にこだわりのないことも多いので、手際よく終わらせることをモットーとして、その分、書くことに時間を使い、書くことのみ、やり尽くそうと思っています。

仕事も勉強も遊びも恋も趣味も家事も育児も完璧というのは、社会の理想像ではありますが、それは私にはキツイです。

きっとこの場合の「完璧」というのは、要領よくこなすということであり、やり尽くすことではないので、私のやり方だと更に不可能だと思います。

 

 

書くことに話を戻しますが、もちろん、外に出してから気づいたこと、出したからこそ気づけたことは、いいのです。

 

ですが、体裁が整えられたという理由や時間がないという理由から、出荷しているようだったら、それはもう本来の書く目的から離れたものになってしまうと思います。用意して言いたいことを詰め込まなかった文章は、中身に不足のある配達物と一緒だと思うので。

 

もちろん、締切の守らなきゃいけないことだって、守るメリットだってあります。

集団の作品では、自分の領域が納得いかないからって時間をズルズルかけていたら、他の人の領域の質が落ちてしまい、結果的に納得いかないものが仕上がるかもしれませんし。

 

けれども、もしも書く目的が形にすることではないなら、とりあえず形になったからGOというのは、ちょっと待って欲しいです。

それよりかは、「まだ磨いてないし洗ってないし加工もしてないけど、凄くいい原石見つけたから、そのまま回覧して貰おう!!!」という方が好きです、私は。

要は、パッケージングしなくていいから、良いもの、面白いものを見たいのです。素敵な表装のハードカバー本であることはなんら必要でなくて、チラシの裏に安いボールペンで殴り書きであっても、面白いものなら読みます、お金出します!!

 

まあ原石も自分1人の作業ならば、どんなに時間をかけようとも、納得いくまで磨いて加工してから見せればいいじゃないかとも思うのですが、そういう風にはしたくないのでしょう。

そして私自身も毎日書くということに、理由もよく考えずに、こだわっているので、同じかもしれません。

今、考えてみると、たくさん書きたいがために焦っていたようです。

焦燥を抱き締め、書きたいことを落としながらもガンガン走ればいいのか、それとも、焦燥を抑え、書きたいことを1つひとつ確実にはめ込んでゆくのがいいのか?

きっとこんな書き方だと、後者に肩をもたせてしまう、けれども先にゴールに到着し、後から掃除機で落としたことを吸い取ってゆくのも悪くないです。

 

今日は後者の書き方寄りだと思います。

それから、答えを出さないのは、いろんな意見の人に媚を売っているわけではなく、ただ決めかねているからです。そうだよね、自分?

 

今日はとりあえず満足です。