聴きたい俯瞰、気に触る俯瞰。
「君って俯瞰してるよね」と言われると、反射的に否定したくなってしまいます。しかもムキになって青筋立てながら。
スカしてると思われたくないんです。実際スカしているつもりもないので。
でも、私は俯瞰が必ずしも悪いことだとは思いません。
自分を棚に上げた俯瞰こそが人を苛立たせるのだと思います。いや、自分を棚に上げているという自覚がある俯瞰ならばぜひ聴きたいですが、自分が常に俯瞰しているということに気づかない状態のことも「俯瞰」と呼ぶのならば、私は違うもんね、自覚だけはあるもんね、同じじゃないもんね、と青筋がピキピキしそうです。
この「ナチュラル俯瞰族」の方は、悪気なく無意識に上から目線であるように感じます。
本当は世代で括りたくないのですが、なぜか現在の大学生に多い気がします。
彼らは「みんな違ってみんないい」教育を受けてきたので、自分であることを受け入れようとする教えに触れてきたはずです。そのため、他者がどうこうということを考える際は、まず自分が基準となるため、「ナチュラル俯瞰族」と化すのではないかなと思います。
あれ?とすると、「自分を基準としているということは、自分のことを考えているのだから、俯瞰ではないんじゃないか?」と今、考えたのですが、確かに自分の価値観からモノを観ているものの、自分を対象とせずに他者のみを評価していることについては、やっぱり俯瞰なのではないかなと思います。そしてそういう事態を多く目にするなあ、と個人的に感じております。
「ナチュラル俯瞰族」であっても、素敵な方、凄い方は、もちろんいるとは思いますが、
我々は、自分を磨きたいならば、自分を常に見つめ続けなくてはならないと思います。
つまり俯瞰に終わってはいけない。もし俯瞰するならば、俯瞰を自覚し、分析し、血や肉にしなくてはいけない。
そして、もがく、もがく、もがく。
目醒めよ!!「ナチュラル俯瞰族」!!!
大きなお世話(笑)