フテブテの歩み

ゆき。傲慢な小娘。自称文筆家。

恥をかかせていただきます。

「 何もできない」にも段階があるなと改めて感じた今日この頃。

 たとえば「カレーライスを作る能力」にもいろいろあって、市販のレトルトを温める方法、市販のルーを用いる方法、スパイスから調合する方法とさまざまあって、どこからが「できる」なのか、人によって異なるのだなと思いました。

 

それでもって、とりあえずどんな手段を用いようとも、何かを作って人前に提供してみると、誰かしら評価してくれることもあるのだなと思いました。

 

それは、お腹が減っていたなら、多少味付けが好みでなくても、食べてくれるようなもので、

とりあえず、今の私は味の素をドバドバ使おうと、全面的にクックドゥーの力に頼ろうとも、モノを書いたりモノを配置したりして、それを発信したいなと思うようになりました。

 

発信するということは、相手に理解されたり誤解されたりを繰り返すことだと思います。

理解者と共に生まれる(あくまで自分の視点の中での)誤解者とどう関わってゆくかが、人生の醍醐味とか言ってしまうには、まだ思慮の浅い私ですが、

発信せずに、今まで通り、夜な夜なコソコソモゾモゾ書き書きする以外に、

外に出して、恥をかくということで「何もできない」を「これはこのくらい、できます」と言えるようにしてゆけたら良いなと思います。

 

しかし、こういった前向きだと思われがちな「○○したい」系の言葉は、発信するだけで褒められてしまいがちです。(逆に有言実行しないでバンバン発言するだけですと口先ばかりとバカにされてしまう傾向にもありますが。)

決して、前向きな言葉が好きでコレクションしたいわけではないので(もちろん嫌いなわけでもないですが)、思ったことを必要な分だけ言葉にしたいです。