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フテブテの歩み

ゆき。傲慢な小娘。自称文筆家。

消化

フテブテ

意味がわからないと感じる内容。消化の実感の薄い事柄。

けれども妙にひっかかる箇所があって取り出してみた、それはなんと玉だ!宝石だ!

再び元の場所に戻すと他の石ころに混ざって見分けがつかない。なんとなくだけど、たまたま混ざったのではなく確信犯的に隠したな。堂々と出せばいいのに。そのくせ見つけられなくてもいいよって叫んでる。みんな探しにきちゃうじゃんか。

遠くからちょろっと見て価値を定めるほど自分の目は確かじゃない。ほんとに見過ごしそうになる。見過ごしちゃってもいいよ!ってまた叫ばれる。みんなほっとけないじゃんか。才能さえあればたとえ構ってちゃんでも気にしない。

見えてないのはただの状態。

視力が悪くても責められないけど、歩くのが遅いと責められる。声が小さいと呆れられる。

運転するときは視力の矯正。見える人と同じ状態へ持ってゆく。私の状態を変えてゆく。

言い訳

フテブテ

1つのことに夢中になると他のことに頭を使えなくなります。

この2、3日の間、あらかじめ入れられていた予定以外、ずっとハンドメイド?にむちゅうになっておりました。

それこそ寝食を忘れていて、寝不足でニキビができましたし野菜不足で口内炎が2つもできました。きゅうり食べなきゃ!

ですがそのおかげか、とても良いものができました、多分。えっへん。

 

しかし私は毎日書こうと思ってブログをやっていたので、いきなり書くことをやめ、ついでに食事をやめ、そんな状況では「書くことへのお前の信念はそんなものか!馬鹿者!」とお叱りを受けるかもしれず。

 

楽な方に逃げてはならないというのは、それはそうなのですが、そうじゃなくて楽じゃなくて楽しい方に進んでいるつもりです。

ですが、楽しいことというのは楽だと思われがちです。楽な場合もありますが。

大事なのは楽しいことに対して、自分の能力の範囲でおさめるか、新しいことに挑戦するかだと思うのです。

無難なことはある意味楽なことだと思うのです。足並みさえ揃えておけば。その足並みをちょっとでも遅らせたり早めたりすると、精神的に辛くなるかもしれないけれども。

 

とは言っても語れば語るほど言い訳っぽくなるので口をつぐみます。

きゅうり食べなきゃ!

期限

フテブテ

1日1つ記事を書くと決めていたのに日をまたいでしまった。

でもまあいいか。とも思う。

公共機関の窓口じゃあるまいし、ぴったり17時にガシャンと閉めて、規則ですから!いけません!規則ですか!と言うのもなんだかな、と思うから。

とは言ってもこれを口実にサボるのは美しくないので絶対にしたくない、からしない!

 

時間というものは大切にし過ぎると、区切れないものまで纏めて区切ってしまうことになりかねないと思う。

かと言っても、待ち合わせ時間を破られると苛立つし、時間を守ることをしないといつまでも先に進めないことだってある。

 

でも、時間はおおよそ守ればいいときだってあると思う。

だって全部厳密だと息が詰まる。

いま、必要じゃないときまで、きっちり時間を守らねばならないとされることが溢れてると思う。

だからって時間にだらしないのはよくないし、違う問題だけど。

 

心の底から楽しいとき、辛いとき、ちょっとくらい時間が伸びたっていいじゃないか。

そうやって、色濃く生きるために時間を使えたら最高だよね。

もはや時代はラプンツェルなのか?

フテブテ

ディズニープリンセス映画のさまざまなストーリーに触れるので、ネタバレ要素も含みます。

 

 

ちょっとした理由からディズニープリンセスのグッズを買い込む必要に駆られ、ディズニーストアに行った。

なんと!

他のプリンセスのグッズに比べ、シンデレラのグッズが少ない!!

 

シンデレラだよ? ディズニーランドに行く理由は、シンデレラ城を見るためっていう人もいるのに、なんで? と思い、混雑する店内を徘徊しながら考察せざるを得なかった。

 

そのとき、プリンセスの中で最もグッズの展開が多かったのは、『リトルマーメイド』のアリエルと『ラプンツェル』のラプンツェルだった。

この2人の共通点は、行動派なことと王子様と結婚する以外に目的を持っていたことだ。アリエルさんは陸の世界に行きたいと渇望していたし、ラプンツェルさんは塔の外に出て不思議な灯りの正体を突き止めたいと思っていたし。

 

なるほど、そういえばこの前立ち読みしたティーン誌にも、「勉強も恋も頑張る女子」的な事柄が書いてあったし、そういうことですね。

女子の共感は、ロマンチックな恋に落ちて結婚して幸せに暮らしたシンデレラさんより、自分の目的達成のために冒険して加えて恋もするラプンツェルさんなんですね。

 

と思って、店員さんに聞いたところ、「シンデレラは映画公開期を終えてしばらく経ったのでおそらく今はグッズが落ち着いてるんじゃないか?」という推測を話してくれた。全然違った。

 

ちなみに『アラジン』のジャスミンのグッズも増えてきたように思えて、知的な女は人気なのかなとか思った。

 

私が思ったような内的な理由を最も主要な理由だとするのは、物事を論じやすくそして人々を納得させやすくしてしまいかねないので、都市伝説を語るような気持ちで話したり聞いたりせねばならぬのかなとも思う。もちろん責任は持つし、本気で言っているのだけど。

スギの生命力

フテブテ

ここ最近、毎日頭にあるのはスギ花粉のこと。

早くも日本中を舞い始め、朝起きると喉が痛むし、くしゃみが止まらない。

その存在感、なんて圧倒的なのだろう。

 

一見綺麗ではないと思われがちだけども強い生命力を持つもの、それは案外愛でてもらえることもある。

ドブネズミとか雑草とか野良犬とか。

 

間接的な気づきではあるけれども、スギだって物凄い生命力の塊だ。

スギは雌雄同株で1本の木の中で受粉ができるのにそれに甘んじず、一部の花粉は風によって遠くの木の雌花とも交配する。

オマケに地球を支配したかのような心持ちでいる人間に、アレルギー反応によってその存在をたらしめている。しかも無意識的にだ。人間が自分の存在を他に広めようとするとき、強烈な意思が芽生えるのに対して、スギは多分そんなこと無自覚に、ただ自然のあるがままに花粉を飛散させている。

しかも駅前で毎日配られているコンタクトレンズ販売のビラに劣らず、期間限定であるにせよ毎日、一銭もかけずに「スギ(花粉)」の名は着実に広まり、人間の頭や思考を侵食していく。

これこそが生命の強さでなくては、なんなのだろう。

好きな人のタイプは、スギ花粉のごとく生命力豊かな人ですって声だって挙がってもいいくらい。

もちろん、それでも花粉症は辛いものです。

45 他人の目

フテブテ

ここ2年くらい、他人の目を気にしなくなった。

 

以前は目立つことが嫌で徹底的に空気になろうとしたり、暖色の服を一切着なかったり、

今考えるとおおげさに思うかもしれないけど、そのときは悩んだ末の決断で。

 

今は毎日、自分に時間をかけて過ごせていて、いい傾向だなと感じているのだけれども、

他人の目を気にしなくなったそのぶん自分の目が厳しくなってるなと思う。

 

自分の目がギラギラ光ってきて、自分のすることを自分自身でふるいにかけてる。

多分、それは私的には良いことで、自分を愛すために自分に責任を持とうとするがゆえの行動で。

 

気をつけているのは、自分の目が他人に向き過ぎないようにすることだ。

自分の価値観だけで相手を評価したりせずに、相手の頑張っていることを相手の目を通して見ようと心がけている。

もちろん、他人の目を借りることは不可能で、だから相手の向いてる方角を一緒に眺めることくらいしかできないのだけれども、それでもしないよりする方がいいし、気をつけないとそれすらもできなくなってしまうので。

44 日々、バランス

フテブテ

小手先で考えたような、器用な人なら誰でも作れそうなものは嫌だなって思って、奇を衒うのも、ちょっと気の利いたくらいの言葉を発信するのも、辞めたけれども、

不器用だねって言われることを自分の一番大事な支えにしてしまって、闘いから逃げるのも、また本質から遠ざかっていく気がして、

そんなことを毎日繰り返して繰り返して日々が過ぎていく。

 

日々が過ぎていく、という

その文字面や語感すら、自分自身を認めてしまいそうなアンニュイな雰囲気が漂うものだから、もうそれも無しにしようと思って、

でもそんな外側でなんでもかんでも排除して結局自分の骨すらいらないものだと言いかねないような勢いで生きると多分、破滅してしまう。

 

想定された用途と実際の活用は別のものだと理解していないから、気軽に捨てようとするのかもしれない。

 

自分以外にも、もっと他にも目を向けなきゃ。

それがどうしてそうなったか想像しなきゃ。たとえ誰にも自分の内側を想像してもらえなかったとしても、その人が自分の内側を想像しなかった理由まで想像しなきゃ。

寛容なフリをして取り繕うのが嫌なら想像しなきゃ。

 

どうして小手先が嫌かも小手先が増えているかも想像して、たくさん想像して、そしたらそれを咀嚼してしまって、とりあえず次に行って、それでまた気になったら反芻して。

きっとそうやってバランスをとっていられる間は、心を自分のものにできるはず。

でもそれが最上に素敵な自分なのか、器用な自分なのか、真理を追求しなかった恥ずべき自分なのか、まだ考え方を定めてしまえるほどには自分の軸を彫れていない。

ので、彫るための時間を得るためにも今はバランスをとるしかない、のか。